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●殺生2000

殺生2000

2007
鉄、ポリエステル樹脂、肉、木、フェイクファー
w3850mm h2200mm d800mm







殺生2000では我々の生活とペット、そして畜産物の死というものをテーマに選び、自分のメッセージを伝える方法を、初めて意図的かつ戦略的に考えてみました。これまでは作品の中で何かを伝えたいと思った場合、造るもの一つ一つに意味や、ある状況というものを込める、というやり方でした。今回はそれに加えて人を引きつけるファニーな部分と、見る人をはめる罠、を取り入れました。

肉を素材として使い、かわいい形を作る。つまり、本当の死の積み重ねで生まれた素材を、愛らしく造形し、素材の持つ、死の集積という意味を薄れさせる。くまちゃんハンバーグは、そのような意図で造られています。それに対して、素材としては何も殺していない、人工のもの、フェイクファーやプラスチック、発泡スチロールを使って私たちに死の悲惨さを伝えるような造形を行い、造られた偽物の死、を演出する。これが偽飼い犬の死体です。

くまちゃんハンバーグと偽飼い犬の死体を天秤に乗せて比べたとき、見る人がハンバーグからかわいさを、偽飼い犬の死体から、死の悲惨さを強く感じとってくれたら、私は作品の意図として成功だと考えます。ペットと畜産物、犬だとかわいそうに見えてしまう、肉から死を連想できない、という両者の死に関する認識のギャップを利用して、私が見る人を騙せたことになるからです。

作品を見た人が、かわいいと感じた、くまちゃんハンバーグが、実は多くの死から成り立っており、逆に、死の悲惨さを感じさせた偽飼い犬の死体が、まったく罪のない素材でできていた、と知ったとき、つまり私がこの作品に、しくんだ罠に気がつくとき、畜産物の死とペットの死の認識の断絶などと文字で語るよりも、私が考えたこと伝えたかったことが、より強い体験として感じてもらえるのではないかと思い、制作しました。

●幸福論一号

幸福論一号

2007
ステンレス、鉄、 ガラス繊維強化プラスチック、塩化ビニル、ゴム、電球、フェイクファー
w880mm h1200mm d1150mm







現代における不可避的な逃避行を補助する器具

現代は、あまりにストレスフルな社会になってしまった。それを発散することの、手助けのなるような器具が必要なのではないかと思い、その方法として、現実逃避というものについて考えてみました。

はじめに目をつけたのが、幼児期への退行願望です。成年になってからの胎内回帰願望や、幼児期への憧れというのは、人間が基本的に持っている、精神的防衛のための一つの行動です。

もう一つ着眼したのが暴走族です。彼らの行動というのは、現実逃避の象徴的な一例です。青年期、思春期の精神的不安定さを原因としながら、法制上ある意味、優遇されているとも思える扱いを受けながら、心のままに暴走を繰り返す。しかも、期間限定でほとんどの人は、二十歳で卒業していく。

私が考えたのは、それがいいとか悪いとかと言うことではなく、その多くの要素は現代人にとって必要な行動なのではないか、ということです。

この二つの逃避行の要素を組み合わせ、暴走族仕様の三輪車を制作しました。多くの人に乗ってもらい、この現代から受ける、さまざまなストレスを安全な形で発散すれば、社会は円滑に機能するのではないかと思います。

この作品の着想の背景には、多発する少年犯罪がありました。なぜ少年たちが犯罪に走ってしまったのか。子供は社会の鏡です。私には、どうしてもその少年たちを取り巻く社会というものが病
んでいるように思えたのです。学歴偏重主義を押しつけられ続け、それに我慢し、ようやく社会が見渡せるようになっても、失望するような社会しか見えてこない。そんな瞬間に少年は犯罪を犯すのではないか。

社会が変われば、子供は必ず変わります。この作品は社会が変わるための、私なりのワンステップなのです。

●一円玉仏

一円玉仏

2000
一円玉、ポリエステル樹脂
w450mm h1150mm d450mm







これまでは作品に自分が思うただ一つの意味を込めていました。しかし、その思いが強くなるほど、自分の意図と違う解釈をされるのを恐れ、過剰な説明を作品に加えいっていました。言葉だけではなく、説明的要素をどんどん加えていき、わかりやすいというよりも、うるさい作品になっていました。

この作品ではあえていくつかの読み方ができるように考えて制作してみました。そうすることでわかりやすさは残し、うるささはなくなるのではないかと考えたのです。

私たちが使う最小単位である一円で造られた仏様。エコノミックアニマルともよばれた日本人。その私たちがお金の仏をを信仰する姿。

近年、多く報道される詐欺まがいの新興宗教。金と信仰との複雑な関係。

そして日本という場所が持つ特殊な宗教観。日本には道徳の規範となる宗教が存在しない。もっとも多くの国民が共有している道徳的感覚が実は経済感覚に裏打ちされた感覚だということ。

そんなようないくつかの要素が見る人によって様々に感じてもらえたらいいなと思っています。