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●F-老人

F-老人

2001
アルミニウム、鉄、ゴム、ガラス繊維強化プラスチック、血圧計
w950mm h1500mm d2600mm







人類が今まで手に入れてきた利便性を地球の未来、そして私たちの子孫のために手放す。

そんな勇気を人類が持っていたら、そしてそんな中でも、楽しみ、エンターテイメントを、知恵を出し、工夫して探していけたら、それはきっと素晴らしい未来像だろう。そう考えて、F-老人は制作しました。

西暦2076年、人類は60歳以上の人口が60%を超えるという、二十世紀人類を含めた超高齢化社会を迎えていた。
背景には、2020年頃からの深刻な食糧危機、それに伴う世界的な少子化、そして人工臓器の量産成功という、医療技術の発達があったのだ。
また大気汚染、化石燃料の枯渇を原因として、ハイブリッドカーを含む内燃機関を実装した車両、つまりエンジン車両が2058年、完全に絶滅した。
しかし、そんな中、高齢者の間に、20世紀末から、21世紀初頭に隆盛を極めた、F−1と呼ばれたカーレースへの回顧、憧れが、かつての先進国であり車両製造技術に優れた、イタリア、ドイツ、フランス日本を中心として広まり、それはやがて世界的な一大ムーブメントとなった。

そしてここにF-老人が覚醒する。超軽量アルミニウムレッドフレームで武装した超低速安定走行を約束するトライク(三輪車)スタイル。エアロダウンフォース+有機生物的フォルムにより完成したボディはモミジペイントにより、新時代老人感覚を解放させる。3次元解析シートはセンタホールを備え排泄の不安を解消。オートマチックデジタルブラッドプレッシャーメーター(全自動電気式血圧計)がドライバーの健康を周回ごとに管理する。 

高齢者による高齢者のためのレースがワールドグランプリとして世界を転戦する。F-老人マシンは高齢者用移
動器具の概念を完全に破壊し、高齢者の新たな感覚次元に向かい爆進する。


●ビョーキのヒコーキ

ビョーキのヒコーキ

2001
鉄、塩化ビニル、
w3900mm h1240mm d1980mm







美術をやっている人間にしか伝わらないような言葉は使いたくない。美術に特に関わりのない一般の人にも理解してもらえる作品づくりをしたい。

殺生2000,幸福論一号、また一円玉仏と連続してメッセージ性の強い作品を作り続けたのはそんな考えのあらわれだった。しかし、メッセージ性を強く前面に押し出そうとする中で、造形性というものが少しずつ押しつぶされていっていた。

メッセージを伝えるのに、造形性というものが邪魔になると考えていたのだ。バランスが崩れていたのだと思う。これらの作品は素材を置き換えた既製品の組み合わせだった。そんな流れの中、造形というものに対するあこがれが芽生え始めていた。

この作品では何も考えずに自分の感覚に主体をおき、極力手に仕事をさせた。つまり自分が今まで一番大切にしてきた、思考の力というものを放棄し、今まで抑圧し続けた造形性というものに主体をおいて制作した。

制作していて、人の目がやけに気になって造りにくかった。人から見たら自分の作品はどう見えているのかと。このことは造っていた時はいやだった。しかし、造形性を考えたとき、人の目が気になるのは、至極当然なことで自分が客観的になろうとしていることのあらわれでもある。

今まで伝えたいことが伝わればそれでいいと思っていた。そう考えているときは人のことなど気にならないのだ。ある意味、言いっぱなし。今までの作品はそういう部分が強くあったのではないかと思う。

自分の作品が自分の感覚が望まない方に向かい始めていたのを、手が仕事を求め、頭は考えることをやめるという形で修正しようとしたのかもしれない。

●安楽と尊厳の椅子

安楽と尊厳の椅子

2001
鉄、布、ガラス、ポリエステル樹脂
w2000mm h1950mm d1700mm







死の椅子

現在は安楽死、尊厳死を選ぶ人は少ない。そして、それを選ぶ要因は、病苦によるものがほとんどだろう。

しかし、将来人工の臓器の量産がもしも可能になったら、それらは爆発的に増える、いや、それ以外の死亡の方法が無くなるのではないか?そんなことを私は考えました。

肉体と精神が本当に釣り合わなくなる前に、自ら安楽と尊厳を求めて、決定を下す。自らの葬儀に自ら招待状を書き、多くの人に見守られながら死を選ぶ。そんな死が当たり前の時代。

そうしなければ死ぬことができない。自殺という概念が根本から変化するそんな時代。

意志を持たない限り永遠に肉体が存続する。そこに安楽と尊厳はあるのか?

●21世紀の選択

21世紀の選択

2001
大理石、発泡トレー
w300mm h300mm d50mm







人類のターニングポイント

人類は文明の発展ともに多くの便利さを手に入れ、その多くはもう手放せないものになっている。

しかし、限りある資源、環境と、私たちの便利な暮らしは、もう折り合いがつかなくなってきています。

そこで現在、社会に浸透しつつあるのが、リサイクルの運動です。資源、環境を守るために、一度使ったものを回収し、様々な方法で再利用する。

このリサイクル運動の中には、何かが隠れている。私はそう感じました。

リサイクル、例えば、発砲トレーをスーパーのリサイクルボックスに入れる。そのことにより、何かとてもいいことをした気持ちになれる。しかし、その根本では使い捨ての容器を使用し続ける。その便利さを捨て、資源を守っていこうとは考えない。

全てのリサイクルに、とはいわない、しかし、いくつかのリサイクルには確実に、「消費社会の中での免罪符」という現代人のエゴが隠されている。